2016年 02月 16日
エッセイ~ゆる風~ |
物書きさんのお客様が「ゆる風」を舞台としたエッセイを書いてくださいました。
とてもとても嬉しく本当に大切にしたいと思います。
ゆる風にこれほどの想いや、また最初の一歩の緊張、そして珈琲がもつ意味合い・・
ゆる風の中での海軍さんの珈琲の立ち居地や意味・・・
たくさんの想いを感じます。
尚、内容には事実とは違う箇所がいくつかございますが、
作品のオリジナリティを尊重し、そのまま転書させていただきます。
間違いの箇所は謹んで作者さまにその内容を訂正させて頂きました。
ご了承くださいませ。
~ゆる風~ T.K著
最初は喫茶店だとは知らなかった。
田畑が広がるだけの黒い屋根瓦ばかりの旧い村中に雛には稀な白い瀟洒な建物が忽然と現れたのは晩秋の頃だったと思う。
部屋に閉じ籠って居るばかりではよろしくないので、昼過ぎて倦み始めたころに散歩に出るようにしている。
家のドアを開けてからその時の天気による大気の状態を肌で感じる五感によって決めるのであるが、こうして書くと
さも観天望気術を駆使しているように思われる向きもあるだろうが、直前まで決められないただの優柔不断なだけの事である。
とてもとても嬉しく本当に大切にしたいと思います。
ゆる風にこれほどの想いや、また最初の一歩の緊張、そして珈琲がもつ意味合い・・
ゆる風の中での海軍さんの珈琲の立ち居地や意味・・・
たくさんの想いを感じます。
尚、内容には事実とは違う箇所がいくつかございますが、
作品のオリジナリティを尊重し、そのまま転書させていただきます。
間違いの箇所は謹んで作者さまにその内容を訂正させて頂きました。
ご了承くださいませ。
~ゆる風~ T.K著
最初は喫茶店だとは知らなかった。
田畑が広がるだけの黒い屋根瓦ばかりの旧い村中に雛には稀な白い瀟洒な建物が忽然と現れたのは晩秋の頃だったと思う。
部屋に閉じ籠って居るばかりではよろしくないので、昼過ぎて倦み始めたころに散歩に出るようにしている。
家のドアを開けてからその時の天気による大気の状態を肌で感じる五感によって決めるのであるが、こうして書くと
さも観天望気術を駆使しているように思われる向きもあるだろうが、直前まで決められないただの優柔不断なだけの事である。
散歩ルートは住んでいる住宅地を一周するのにどんなにゆるゆる歩いても、一時間はかからない。一周を終える少し手前で物足りなければ
国道を越えて淡輪村へ足を伸ばし湊へ行くこともあるし、そのまま帰ることもある。岬の公園を抜けると海岸通りだが、右は淡輪の湊へ
左は深日の湊へと続く。海沿いの深日へのプロムナードは気に入っているのだが、この道をバイパス替わりに走る車が気分を損ねる。
淡輪の湊へは防波堤が嵩上げされた分海が見えなくなったが、私はその上を歩くのでさほど不満を覚えることはないし、公園のイルカショーが
ただで見られるのはいい事だった。しかしやはりつまらない景色になってしまったのは否めない。防潮門扉の前で今の気分と雰囲気と海の状態で
決めるのだった。基本的には四通りで、その先々で右か左かと選択を迫られるのはハムレットほどの心境ではないが、多少それに近い。事程左様に
真にもって気分次第である。
限られた地域内で何十年も住んで居ればどんなにルートを変えて歩いていても飽きがくるのは人の性と言うものだろう。だから私は散歩を気分転換を
超えての思案の時などと高尚な意味付けをしてはみたものの、凡人はそうはならないのを痛感する次第だった。
国道の向こうは淡輪の田畑が広がっているが大概が休耕田だ。借りて家庭菜園をしている人も居るが何時の間にか雑草に覆われ野地に戻り耕作していた
人を想うのだった。
オプションとして田畑の散歩道を外れて畦伝いに歩くことがある。冬枯れの稲の切り株から伸びたひこばえを踏み潰しながら歩いても誰も咎める人はいない。
子供の頃こうして歩いたのを思い出しながら畦から上がった集落の狭い道を抜けた向こうには宮内庁が管理する御陵がある。「ゆる風」はその近くにあった。
白い小さな漣を一瞬で氷らせた様なガラス窓の向こうには淡い灯りが滲んでいるのが見えるが、人の住む家とは想い至らず、外見の様子から茶店とも想ったが
余りにも場違いな場所にあるだけに通り過ぎたのだった。
「ゆる風」は散歩するついでに行くには遠いが、気になる存在となった。
何度か前を通り、その度に想像した結果は茶店だと結論付けるのだが廻りとの余りにも違和感があり過ぎる佇まいと落差に戸惑い、止む無く通り過ぎるのだった。
何度か通るうちに私は何かのついでの事のように板切れに書かれた「OPEN」の文字に正体を暴くべく勇を鼓して近付いていった。砂利を踏みしだく音に気が付いたのか
ガラス窓の向こうの影が午睡から醒めておもむろに動く金魚の様だった。私はドアを開けた。石油ストーブの柔らかい温かさの中に微かな石油とコーヒーが匂っている。
狭い店内の三人掛けのカウンターの隅には初老の先客が居て、他はテーブルがふたつあるだけだった。私は二人の会話を中断したことに躊躇いながら、遠慮がちに
茶店である事を確かめたのであった。
オーナーは女性で静かなジャズが垢抜けた都会の雰囲気を漂わせていた。
短い会話の後、私はどうすればいいのか分からずにカウンターの椅子に掛けると目の前にあった手書きのメニューの上にある「海軍さんの珈琲」を意味も判らずに
オーダーしたのだった。コーヒーが出来るまで、初老の男客の話を傍らで聞きながら田夫子然の一見の客がするように物珍しく店内の設えを見廻わしていたのだった。
白を基調にした店内は清潔感があって、薄い青と菱形に開けられた窓のトイレのドアと木製の三枚羽の天井扇が旧い米軍基地の住宅を思わせる。
やがてコーヒーが蒸らされて立ち昇る深々とした薫りが天井扇に煽られて私の鼻孔を豊にした。備前焼に似たコーヒーカップの握り掌は程好く厚く湾曲し、
緩やかに立ち昇る湯気の向こうに深淵を覗く思いがする。私はミルクを垂らした。芳しい薫りが乳匂いとともにチョコレート色に変わり、口にするとビターな
味わいが纏わりつくように口中に拡がるのだった。
私は随分前に観た映画「パルプフィクション」で殺し屋役のハーベイ・カイテルが殺しの前に飲んだコーヒーを称賛するシーンで見せた表情が好きで、
真似は出来ないが多少意識して「うまい・・・・・・・」と言った。オーナーとの会話はそれがきっかけとなった。
「海軍さんの珈琲」の謂れは呉の海上自衛隊へ地元の焙煎屋が専属で卸しているのを無理にお願いして別けて貰う事へのオマージュとして命名したのだそうである。
(実際は違いますので、著者さまには「海軍さんの珈琲」の謂れを謹んで訂正させて頂きました。ゆる風より)
だからこのコーヒーは海上自衛隊以外では「ゆる風」でしか飲めないのである。
(この部分も事実とは違いますので訂正させて頂きました。ゆる風より)
私の味覚はこうした希少性に耐えられるほどではないがその背景のストーリィには鋭敏である。
オーナーは時折排気量三百五十ccのバイクでぶっ飛ばすという。バイクの専門紙があって取材を受けたときの写真を見せられて、私はただならぬモノを感じたのである。
了
国道を越えて淡輪村へ足を伸ばし湊へ行くこともあるし、そのまま帰ることもある。岬の公園を抜けると海岸通りだが、右は淡輪の湊へ
左は深日の湊へと続く。海沿いの深日へのプロムナードは気に入っているのだが、この道をバイパス替わりに走る車が気分を損ねる。
淡輪の湊へは防波堤が嵩上げされた分海が見えなくなったが、私はその上を歩くのでさほど不満を覚えることはないし、公園のイルカショーが
ただで見られるのはいい事だった。しかしやはりつまらない景色になってしまったのは否めない。防潮門扉の前で今の気分と雰囲気と海の状態で
決めるのだった。基本的には四通りで、その先々で右か左かと選択を迫られるのはハムレットほどの心境ではないが、多少それに近い。事程左様に
真にもって気分次第である。
限られた地域内で何十年も住んで居ればどんなにルートを変えて歩いていても飽きがくるのは人の性と言うものだろう。だから私は散歩を気分転換を
超えての思案の時などと高尚な意味付けをしてはみたものの、凡人はそうはならないのを痛感する次第だった。
国道の向こうは淡輪の田畑が広がっているが大概が休耕田だ。借りて家庭菜園をしている人も居るが何時の間にか雑草に覆われ野地に戻り耕作していた
人を想うのだった。
オプションとして田畑の散歩道を外れて畦伝いに歩くことがある。冬枯れの稲の切り株から伸びたひこばえを踏み潰しながら歩いても誰も咎める人はいない。
子供の頃こうして歩いたのを思い出しながら畦から上がった集落の狭い道を抜けた向こうには宮内庁が管理する御陵がある。「ゆる風」はその近くにあった。
白い小さな漣を一瞬で氷らせた様なガラス窓の向こうには淡い灯りが滲んでいるのが見えるが、人の住む家とは想い至らず、外見の様子から茶店とも想ったが
余りにも場違いな場所にあるだけに通り過ぎたのだった。
「ゆる風」は散歩するついでに行くには遠いが、気になる存在となった。
何度か前を通り、その度に想像した結果は茶店だと結論付けるのだが廻りとの余りにも違和感があり過ぎる佇まいと落差に戸惑い、止む無く通り過ぎるのだった。
何度か通るうちに私は何かのついでの事のように板切れに書かれた「OPEN」の文字に正体を暴くべく勇を鼓して近付いていった。砂利を踏みしだく音に気が付いたのか
ガラス窓の向こうの影が午睡から醒めておもむろに動く金魚の様だった。私はドアを開けた。石油ストーブの柔らかい温かさの中に微かな石油とコーヒーが匂っている。
狭い店内の三人掛けのカウンターの隅には初老の先客が居て、他はテーブルがふたつあるだけだった。私は二人の会話を中断したことに躊躇いながら、遠慮がちに
茶店である事を確かめたのであった。
オーナーは女性で静かなジャズが垢抜けた都会の雰囲気を漂わせていた。
短い会話の後、私はどうすればいいのか分からずにカウンターの椅子に掛けると目の前にあった手書きのメニューの上にある「海軍さんの珈琲」を意味も判らずに
オーダーしたのだった。コーヒーが出来るまで、初老の男客の話を傍らで聞きながら田夫子然の一見の客がするように物珍しく店内の設えを見廻わしていたのだった。
白を基調にした店内は清潔感があって、薄い青と菱形に開けられた窓のトイレのドアと木製の三枚羽の天井扇が旧い米軍基地の住宅を思わせる。
やがてコーヒーが蒸らされて立ち昇る深々とした薫りが天井扇に煽られて私の鼻孔を豊にした。備前焼に似たコーヒーカップの握り掌は程好く厚く湾曲し、
緩やかに立ち昇る湯気の向こうに深淵を覗く思いがする。私はミルクを垂らした。芳しい薫りが乳匂いとともにチョコレート色に変わり、口にするとビターな
味わいが纏わりつくように口中に拡がるのだった。
私は随分前に観た映画「パルプフィクション」で殺し屋役のハーベイ・カイテルが殺しの前に飲んだコーヒーを称賛するシーンで見せた表情が好きで、
真似は出来ないが多少意識して「うまい・・・・・・・」と言った。オーナーとの会話はそれがきっかけとなった。
「海軍さんの珈琲」の謂れは呉の海上自衛隊へ地元の焙煎屋が専属で卸しているのを無理にお願いして別けて貰う事へのオマージュとして命名したのだそうである。
(実際は違いますので、著者さまには「海軍さんの珈琲」の謂れを謹んで訂正させて頂きました。ゆる風より)
だからこのコーヒーは海上自衛隊以外では「ゆる風」でしか飲めないのである。
(この部分も事実とは違いますので訂正させて頂きました。ゆる風より)
私の味覚はこうした希少性に耐えられるほどではないがその背景のストーリィには鋭敏である。
オーナーは時折排気量三百五十ccのバイクでぶっ飛ばすという。バイクの専門紙があって取材を受けたときの写真を見せられて、私はただならぬモノを感じたのである。
了
by bluemoonbluerose
| 2016-02-16 22:20
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